噴火のちょうど5カ月前の1995年5月11日には、たまたまですが今回新たに噴火した地点の赤外映像の撮影を行っていました(本来の目的は別の噴気地域の撮影にありました)。しかし、その時点では何の熱的異常も検出されませんでした。1995年は8月から9月にかけて、臨時地震観測も行っていました。観測開始当初は地震活動のレベルも低く、これまでと同様な低い地震活動と判断していました。しかしながら、8月末から9月上旬にかけて、群発地震が発生し、地震活動は高まっていました。しかし、その時点では地震活動がやや活発化しているとは考えていましたが、1カ月後に噴火が生じるような特別な状態との判断はできませんでした。

 このような中で、1995年10月11日午後6時頃噴火が発生したのです。噴煙高度1000mを越える激烈な火山灰噴出活動は30分程度の短時間で終了したものと思われます。この時点では今回の噴火にはマグマの関与は認められず、水蒸気爆発ではないかとの判断をしました。最初の噴火以降、新たに開口した火口からは大量の熱エネルギーが放出されました。2000MW以上(噴火前、噴気地域から放出されていた熱量は約100MW)の高い熱放出が約2カ月継続されました。そして、1995年12月18−23日にかけて、2度目の噴火が発生しました。この時の火山灰からは発泡を含む新鮮な火山ガラスが微量ながら発見され、今回の噴火に、新たなマグマが関与した可能性が考えられました。この2回目の噴火活動以後、火口活動を停止するものが現れ、噴煙活動も次第に低下する傾向になりました。しかしながら、1996年3月から5月にかけて、地震活動の活発化、山体の膨張などが観測され、活動活発化の兆しありとの火山噴火予知連絡会の見解も出されました。しかし、その後とくに活動が高まることはなく、今日に至っています。

噴火直後の九重硫黄山
北千里浜から見た新火口(d,e火口)